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ビオトープから生まれるニンの塩

古都ニンの塩のできるまで
古都ニンの塩は古代ローマの時代より、「白い金」と呼ばれバルカン半島内陸部に向かって塩の道が作られていました。内陸部の岩塩に比べ高価な値段で取引された「白い金」とはいったいどんな物だったのでしょう?

クロアチア・古都ニンの塩田の歴史は、起源前の時代に遡ります。ニン(Nin)に人が住み始めたのは1万年前と言われ、塩の生産が始まったのは不明ですが、少なくとも起源前一世紀頃(2100年前)、古代ローマのギリシャ人地理学者、ストラボンが自著、「世界地誌」の中で古代イリュリア人が塩を生産していて、塩田をめぐって争いが絶えなかった事を記述しています。この記録は、塩田の存在を示す世界最古の記録となっています。

イリュリア人は、起源前9世紀(3000年前)から、現在のニン(Nin)にアエノア(AENOA)と呼ばれる都市を作り、海運と商業の中心地として、ギリシャやヘレニズム世界と強く結びついていました。
ストラボンの記述とニン(Nin)の背景から察すると、イリュリア人がニン(Nin)に塩田を既に築いていた可能性を考えることが出来ます。
時を経て7世紀頃、クロアチア人がニン(Nin)に入植を初めます。この頃には既に「白い金」による塩の道がバルカン半島を通り内陸ヨーロッパへと続いて、ニン(Nin)は莫大な富を手にしていました。そして、塩の富を背景にした経済力と軍事力により9世紀(879年)、クロアチア王国をニン(Nin)の地で建国する事となります。以来、ニン(Nin)はクロアチア発祥の地としてクロアチア人にとって重要な聖地となっています。
クロアチア建国の力となった「白い金」は現在もなお、ニンの塩田で作り続けられています。最古と言われる塩田ですが、実態は最新のバイオプラントにも引けを取らない高度な仕組みを持っていました。

167区画にも仕切られた塩田
現在のニンの塩田は、既にローマ時代に完成していて現在もそのまま変わらず使用しています。海水を製塩できる濃度まで太陽と風の力だけで濃縮するために、ソルトパンと呼ばれるプールに潮の満ち引きを利用して海水を引き入れます。ソルトパンは大きく五段階に分かれていて、段階毎に違った役割を持っています。ニンの塩田は、なんと167区画ものソルトパンがあり、最終的に採塩するソルトパンはその内の21面だけです。残りの140面以上の区画は海水を濃縮と精製する為に使われます。引き込まれた海水は迷路のような複雑な経路を1年程かけて採塩用のプールにたどり付きます。そして、ようやくここで塩の結晶を生み出します。

時間だけをかける方法
海水を濃縮して塩を取り出す場合、濃縮に時間をかけるメリットは、不要な金属(酸化鉄)や、(硫酸カルシュウム)を析出させ沈殿して分離する精度を高くする事が出来ます。上の図は、左の線は釜炊きなど熱を加えて短時間で濃縮した場合、右の線は時間をかけて濃縮した場合です。酸化鉄や炭酸カルシュウムは、塩(塩化ナトリュウム)の飽和濃度になる前に100%析出しますが、硫酸カルシュウムCaSo4(石膏)は塩の析出濃度と重なっている部分があるため、短時間で煮詰めると混ざってしまいます。そこで、塩の飽和濃度の直前まで長い時間をかけて海水を静かに保ち、海水の濃度を増して行くことで、硫酸カルシュウムを沈殿させ、取り除いています。硫酸カルシュウム(石膏)は塩の味に大きく影響するため、釜炊き塩の製造では、職人が付きっ切りで析出する石膏分を取り除きます。驚きなのは、古代人が海水に塩以外の多くの成分が溶け込んでいる事を知り、それを分離する方法を既に持っていた事です。それも人工的なエネルギーを使わず最も効率の良い方法で産業化していました。

生命サイクルの利用
ニン塩田のソルトパン(濃縮用プール)は、外周部から中心に向かって段階を追って濃くなっていきます。外周部のプールは人工的な様子をなくして、多くの塩性植物と水草が生い茂り、プラントンや微生物の活動も活発で、エビや小魚が繁殖して水鳥の格好の餌場となっています。、ここでは280種類以上の鳥が飛来して野鳥の楽園となっています。ここで繰り返される旺盛な生物活動により海水中に多くのミネラルが溶け込んで行きます。ニンでは塩田の約半分が動植物の繁殖地となっています。

水鳥以外にも、山鳥が時折ミネラル補給のため飛来するそうです。

Aphanius fasciatus(アフニエス・ファシエタス)地中海のラグーンを生息地とするメダカ科の魚。絶滅危惧種(LC)に指定されています。ニンの塩田に多く生息しています。この魚はスピルナなどの藻類やプランクトンを餌として生息している為、塩田のプールでは多くの藻類が繁殖している事を知ることが出来ます。また水質に非常に敏感なため、海水が健全である事がわかります。

バイオテクノロジー
ソルトパン(塩田プール)の濃度が一段高くなる場所では、一般の海水動植物の姿が消え、好塩性微生物が繁殖しています。好塩性微生物は、ミネラルを多く含むスピルナ。老化を防いで再生を促進するカロテノイドを作り出すドナリエラ。抗老化成分(アルテミアエキス)を持つ、Artemia salina(アルテミア)など、有効な成分を作り出すものが多く、これらの成分は塩田の濃縮海水に溶け込んでいます。上の写真は、シーズン前に水を抜いたところですが、女王の海岸(Queen´s beach)と同じ藻類による真っ黒な泥が出来ていています。

海水の濃度が28%近くまで濃縮されて、最終段階の手前、第四のプールにたどり付きます。ここで、最終的な、硫酸カルシュウム(石膏)の沈殿。それから太陽の紫外線による殺菌を行います。そのため水深は数センチ程度しかなく、紫外線が水底まで届くようになっています。

長い旅をしてきたアドリア海の水は、いよいよ飽和濃度に近づくと、最終の採塩プールに導かれます。水深はもはや3センチ以下で薄い水の膜のようになって太陽の光と風を浴びます。ここで、風のない晴れた早朝に穏やかに結晶化が始まると、フラワーソルト(塩の花)が水面に出現します。早朝に見回る職人がそれを見つけてすくい取ります。フラワーソルトの収穫量は、0.1%以下です。気温が高く、急激に蒸発すると塩の結晶は大きくなり沈んでしまいフラワーソルトを採取する事ができません。

フラワーソルトの収穫が成功しても失敗しても、少しずつアドリア海の水は運び込まれ、採塩が始まります。沈殿した塩を集め塩田の端に盛られます。少しずつ水と一緒に盛られて山になっていく事で上部の塩は洗われ白さを増して行きます。
ニンの塩田は、動植物と微生物の自然サイクルの営みを利用して、海水をから単に塩(塩化ナトリウム)を取り出すだけでなく、多くのミネラルと希少物質を取り込み塩を作り出してきました。ニンの塩は、ヨウドが多く含まれている事がわかっています。昔の内陸部の人々のヨウド欠乏症は深刻で、少々のヨウドを含むニンの塩でも、古代内陸部の人々には薬のような効果があったのかも知れません。
1500年もの大昔に、このような仕組みが稼動していたとは信じがたい事です。本当に古代人の知恵によるものなのでしょうか?発端となったイリュリア人は、3世紀頃からしだいに姿を消して行きました。「ニンの白い金」を残して。

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